男の雑誌と女の雑誌をなぜ分けるのか?
今日も朝から晴れ、暑さに注意しなければならないほど。
朝は、『ななめ読み日記』の続きを。一気に読了。
夢中で読んだので、外出する時間が遅くなる。
というのもハローワークからの振り込みがあるはずで、預金をチェックしていたのだ。
丁度、振り込まれていて、外出しようとしていたところ。
銀行とまた本屋に寄って、お昼のパンを買って帰る。
食パンを買って近所のコロッケでコロッケパンを作ろうと思ったら、休みだった。残念。
薬局で包帯を買うついでにコロッケに代わるものを探す。
薬局では、ヨーグルトとサラダチキン、オイコスを買った。
今日は、上橋菜穂子著『精霊の木』(新潮文庫)を購入。好きな作家で新刊は全て買うのだが、今回はずっと躊躇していたのだ、なぜか。
さて、千葉敦子の『ななめ読み日記』だ。
すっかり気に入ってしまった。絶版しているようで中古で3000円もする。定価は420円なのにだ。
全体的に女性の地位向上について考えていたようだ。
当時の日本で、どれだけの人がフェミニズムについて考えていたのだろうか。
著者は、海外の情報をナマ(現地の言葉)で接する機会が多い。インターネットの無かった時代だ。アメリカに行ってる友人に本を買ってきてもらったりなどもしている。
日本語だけで得られる情報より、より多く情報を得ていたであろう。
アメリカでの女性の地位向上は日本などよりずっと進んでいる。
女性の解放こそ、男性や子供も含めた人類の解放になる、と書いてある。
特に共感したのは、男の雑誌、女の雑誌という表記を辞めようというところ。
日本の出版物は男と女に分けがちだと。
これは現状もあまり変わってない、「婦人雑誌」コーナーもあるし、単行本も「男性作家」「女性作家」を分けるのは、私はつねづねばかばかしいと思っていた。
分ける必要性を全く感じない。